大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和40年(う)789号 判決 1965年10月26日

被告人 和田繁一 外一名

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、記録に編綴の被告人和田繁一の弁護人布井要太郎、被告人浅井基秀の弁護人加藤充のそれぞれ作成の各控訴趣意書に記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

被告人和田繁一の弁護人布井要太郎の控訴趣意及び被告人浅井基秀の弁護人加藤充の控訴趣意第一点について

本件は、破棄差戻第一審裁判所において被告人らの行為は傷害致死と強盗との併合罪であると判断せられ、検察官は強盗致死罪との見解をもつて控訴し、控訴審は右第一審判決を破棄して原審に差戻し、原審は刑法第二四〇条後段、第六〇条に該当する強盗致死罪と判決した。そこで論旨は、いずれも原判決の事実誤認ないし法令適用の誤りを主張する。しかし本件記録を精査し原判決挙示の証拠によれば、原判決認定の事実は優に認めることができる。すなわち、右証拠によれば、被告人両名は、原判示のような経緯から、被害者竹西哲男こと孫哲錫に対して法外な乗車料金を吹きかけたところから、同人が「お前ら布施の白タクか。大きな顔をするな。おれは柳川組の者だ。」といつたため、被告人和田は、かつて柳川組々員に袋たたきにされたことがあつたので、この機会に孫を殴りつけその報復をするとともに同人から金品を強奪しようと決意し、被告人浅井に対して「この野郎、どつき殺してしまえ」と指示し、被告人浅井は、被告人和田に命ぜられるまゝに暴行の意思を通じて車内で全長約二七、七センチメートルの白木柄のドライバーの柄頭で右孫の頭部を四、五回殴打して失神状態にしたので、被告人和田は、右孫を乗せた自動車を原判示の埋立地まで疾走させたうえ、同所で、停車して右孫を車外に引きずり出し、反抗不能になつていた右孫から金品を強取しようとして同人の着衣をぬがし始めた際、被告人浅井は、被告人和田の強取の意図を察知したのであるが、その時、被告人和田から「お前もズボンを取つてしまえ」と命ぜられ、ここに両名は強盗の意思をも通じて相共に右孫の着ていた背広上下一着(現金三〇〇円在中)、はいていた靴一足を剥ぎ取つてこれを強奪し、同人をして右暴行による脳挫傷にもとづく脳機能障害によつて、原判示の日時、原判示の布施市民病院で死亡するに至らせた事実を認めることができる。被告人和田の弁護人布井要太郎の所論は、被告人和田は、現場から広田の家に到着したのちにおいて窃盗の犯意を生じたのであるから同被告人の行為は、傷害、暴行、窃盗罪にすぎず強盗致死罪でないというのであるけれども、前認定のとおり、同被告人は報復と財物強奪の意思をもつて被告人浅井に命じ孫に対して暴行を加えたものであるから、強盗致死の一罪が成立することは明らかである。次に刑法第二四〇条の罪は、強盗の結果的加重犯として一罪を構成するものであつて、強盗の意思が当初からあると、暴行の中途において生ずると、あるいは被害者の抗拒不能の状態になつたのちにおいて生ずるとにかかわらず、同一機会における一連の行為を包括して本犯罪の成否を論ずるのを相当とする。被告人浅井の弁護人加藤充の所論は、被告人浅井は相被告人和田に命ぜられるまゝに反抗不能になつていた被害者のズボンを脱がせることを手伝つたまでのものであつて、被告人和田の本件強盗を共謀したものでないから強盗致死罪の共同正犯ではないというのであるけれども、被告人浅井は、被害者が失神状態となり反抗不能となつたのに乗じ相被告人和田から命ぜられるまゝに被害者の着衣の剥ぎ取りを手伝つたのであつて、前記暴行の際には強盗の意思がなかつたとしても、被害者の着衣の剥ぎ取りの段階に至つて相被告人和田の強盗の意図を認識し、被害者の着衣の剥ぎ取りをして被告人和田の強盗に加担しているのであるから、被告人浅井の行為を強盗致死罪に問擬するのが相当である。その他記録を精査しても原判決には所論指摘のような事実の誤認ないし法令の適用の誤りはない。論旨はいずれも理由がない。

被告人浅井基秀の弁護人加藤充の控訴趣意第二点について

論旨は、原判決の量刑不当を主張するのであるが、原審が被告人に対し無期懲役を選択し酌量減軽をして懲役七年に処したのは、最低の刑であるから、論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎薫 竹沢喜代治 浅野芳郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例